2月13日の地震 最大震度6のド真ん中に‥ 恐ろしかった!

 東日本大震災から10年目、その1ヶ月前というタイミングで最大震度6強を観測した地震のど真ん中にいました。2月13日23時チョイ過ぎ頃、そろそろ床に入る準備でもと行動を取ったその時、スマホの緊急速報が! 直後です、とんでもない揺れに襲われました。

 もう何が何やら‥ 数分後揺れは収まるも室内はありとあらゆるモノが落下。特に台所は食器関係が落ちて破損の山、山、山。呆然とする。

 恐ろしさと室内の無残さでへなへなヘな‥ 声も出ず。そのうち何で!!!! 恐怖心から怒怒りへ。体感的には前回同様ながら、室内の惨状は3倍位酷い。無口のまま女房と2人で深夜の片付けに入りました。3時頃ようやく取り敢えず今夜は寝るか、というところまでになりました。

 しかし、私は仕事場が気になって寝るどころじゃないっす。なので向かう。途中、道路の陥没や塀の倒壊などは見られません。到着し即スマホの明かりで建物外観を照らす。深夜で真っ暗、完全確認出来ないけれど取り敢えず大丈夫かな。

 さぁ中はどうよ‥ 入ると、あああああ! 部屋のドアは外れ、棚が倒れ、PCのハードディスクは1.5mもぶっ飛んでいる。印刷機や電話、その他何から何まで惨憺たる状況です。またまた声も出ず、あまりの無残さに2度目のガックシでその場に立ち尽くすこと10分位。

 そうだ、PCは動くかな? 外れた配線をモニターに繋ぎ起動。ダメです! 強制終了させ再度入れ直し、すると今度は立ち上がる気配あり。モニターは複数化しているけれど、メインの1台だけが表示されました。

 更に時間差でもう1台表示。ただ画面下のショートカットメニューのみ表示で画面そのものは真っ黒です。それでも使える可能性あるので少し安堵しました。そこから重要なモノだけ片付け今夜はもう終わりにしよ。時刻は既に5時過ぎです。

 自宅へ戻る途中、そうだ前回の教訓からガソリンを満タンにしておこう。更にはコンビニによって明日の食事となるパンとカップ麺を確保。自宅に戻ったら朝6時、その後数時間の仮眠です。

 14日は自宅の片付けを引き続き夕方まで。それから仕事場に移動し、またPCの調整に入りました。色々試すこと2時間くらいかな、ようやく正常動作にこぎつけました。嬉しかった。ただ片付けまでには到達出来ず。昨夜からでもう燃料切れ。無理をせず帰りましょ。

 15日はいつもの通り8時前に仕事場へ到着。コーヒー飲ん気合入れ今日中に片付け完了させます。ということで19時頃には何とか終わりました。しかも余震に備え、PCは勿論ですがその他諸々も固定し最悪に備えました。

 昨夜は震度2~3程度の余震が幾度も。トラウマを超え、何と言えばよいのか分からないけれど私は都度怒りを感じていました。本日16日から通常へ、2日ぶりにメールも確認済みです。

 今回の地震は当事者にとって最大の出来事。10年経ってもまだ続くこの状態に精神的な苦痛は半端ないです。ところが朝のテレビはオリンピックの会長選び云々ばっかり、残念です。既にニュースとして話題性無し、と判断されたんでしょう。

 ということで、2日間夏タイヤの更新を中断しましたが本日から再開します。インプレッションも受け付けていますので宜しくお願いします。それにしても参った。本当にトホホだ。

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